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2006年2月11日 (土)

全下野労組?の方へお答え

本日の未明、下野労組?の方からコメントを頂いた(コメントのログと、書き込みがあった時間のこのブログのアクセス解析結果から、栃木県内のnifty系常時接続からのカキコと判明し、文面から下野新聞労組の方と判断させていただいた)。コメントでお返事しようと思ったのだが、問題提起したいところもあるので、新記事で起こす。

まず「現場を見ないで」とあるが、一連のこのブログで取り上げた内容、下野労組への攻撃ではなく、小規模紙でずっと働いてきて感じた、労連本体の考え方やこれまでの歴史への疑問や批判を書いている。下野労組やその組合員を批判しているように取られるのなら、それは私の本意ではない。以前の勤務先のシステム更改時に下野にはお世話になっていて、会社内には私のことを知っている人間がまだいるはずだ。そういった人たちに、私の考え方を間違ってとらえられるのは望むところではない。経緯を見る限り会社側のやり方が拙速な点は否めないし、下野労組が闘いを強めるのは当然のこと。

私が言いたかったのは、以前のブログの繰り返しになるが新聞労連に「県紙やそれ以上の新聞しか実質的に仲間と見なさない」体質があり、その結果弱小紙の直面するさまざまな問題にほとんどまともな対応ができないことを繰り返していることへの批判である。下野が加盟している関東地連関連で言えば、これも以前書いた通りだが私の実家がある地域をエリアにしている地域紙が、本来のショバ割を越境する形で関東地連に加盟した経緯は、下野労組の執行部でも知っている人間がいるはずだ。これは関東地連でなく某地連の責任なのだが。

いい機会なので少し弱小紙の実態をお知らせしておこう。

私が前勤務先を辞めた当時の手取り給与が36歳で16万5000円程度。一時金も文字通りの「少与」「省与」が続いていたから、アパートの家賃と光熱費を払ったら生活していくのは相当厳しい。ほぼ同年齢の人間には手取り10万円を切る人間もいた。実家通勤なのでやっていけるのに過ぎない。大方の地域紙の標準、滋賀新聞にいたころの同僚の話を聞いてもこんなもんである。スーパーの閉店間際に、見切り処分で安くなった生鮮品や惣菜を買いにきている同僚(重役さえいた)によく会った。そういう物を買わないと生活ができないのだ。

整理部員の勤務負担も県紙の皆さんから見れば異常だろう。持ち面は1日3個面になるのも少なくない。やはり弱小紙から来た滋賀新聞の同僚に話を聞くと、そこでは1日4個面組まなければいけない日もあったとか。これもどこの弱小紙でも似たり寄ったりのはず。

先日、都内でフクニチの元記者とばったり会って昔話に花が咲いた。東京タイムズとフクニチは連載企画の交換などで、関係が深かったのである。こういう話をしてくれた。「社外の人間との打ち合わせで喫茶店を使おうと思っても、給料の遅配欠配が続き財布の中にはほとんどお金がない。仕方がないから街金で金を借りて喫茶店代を払ったこともある」と。末期のフクニチで、現金で日々仕入れていた巻き取り紙代金などを支払うため、組合員が深夜のアルバイトをしていたことを知っている身としては十分頷ける。小規模紙では労働条件切り下げどころではなく、紙が出るかどうかギリギリの経営を続けている社もあることは、知っておいてほしい。

ちなみに私鉄総連傘下の地方バス会社では、会社倒産以後も私鉄総連の指導のもと組合員が自主管理したり、新たな企業を作りバス運行を続けている例がかなりある。残念にもフクニチと同じような結末を迎えたが、栃木の隣の某県でもそういう形で住民の生活の足を守ろうとした労組があった。翻って新聞労連はどうなのか、と改めて問いたい。

もし新聞労連に対する批判自体が気に食わない、けしからんという考え方なら某半島の某国などと同じ。労連のトップは「偉大なる首領様」のような人物ではあるまい。

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