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2006年5月17日 (水)

【続】幽霊の正体見たり枯れ尾花

先日、滋賀新聞の債権者集会が大津地裁で行われた。
関係資料に目を通す機会もあり、当日の小林徹社長(一部上場のオプテックス社長)ら滋賀新聞幹部が取った態度を含め、後日改めて考察を加えたい。

あちこちに探りを入れる中で、滋賀新聞の不透明な金の流れに関するヒントがつかめた。まずこちらを先に取り上げようと思う。オーマイニュース関連の問題点整理も残っているしな。

あらかじめお断りしておくが、これから先に述べる内容については、某法規の規定もありいつも以上に「分かる人だけ分かる」難解な書き方にさせていただく。今年7月3日以降のできるだけ早い時期に、平易な書き方に改めた上で再度掲載することを、ご了承願いたい。分かる人ならこの部分だけで、私が言わんとしていることの凡そは察しがつくはずだ。

昨年の秋口、滋賀新聞に死刑宣告が下されるほんの数日前のこと。大津プリンスホテル近く、元はオプテックス本社だった滋賀新聞ビルを、一人の年配の男性が訪れた。
「社長さんはいますかな?」
たまたま受け付け近くにいた私が声の主の方に目を向けると、どこかで見かけた顔だ…それが国松滋賀県知事と気付くまで、数秒掛かった。社長は非常勤で、特段の用がないと会社に来ない。いつの間にか常勤役員も姿を消している。
事の重大さに気付いた総務の担当者が慌てて幹部を探し回る。やがて現れたのは、このブログでもさんざん槍玉に挙げている、KBS京都常務時代にとかくの風評があった編集幹部だ。この時、国松知事との応対役を務めたのはこの男である。

ちなみにこの時の国松知事、ごく普通の背広姿で、一緒にいたのは運転手風の男性。恐らくお忍び。
数十分後、国松知事はやや憮然とした表情を浮かべて滋賀新聞ビルを後にした。

この時、「一県の知事に何たる無礼な対応を会社は取ったのだ」という疑問が残った。通常なら、事前に役員の誰かに来意が伝えられているはずだから。
この疑問、7月2日に行われる予定のあるイベントに名乗りを上げた人物の顔ぶれを見た段階で氷解することとなる。

で、話は滋賀新聞の創刊当初に遡る。
大津からは遠く離れた滋賀県内のある町(現在は町村合併で市になっている)で、地元ゆかりのある歴史上の人物を切り口にした地元学に関するシンポジウムが開かれた。メーンのコメンテーターを勤めたのは、大津在住の某大学教授兼公的機関の研究員。
郷土の歴史を住民らに再認識してもらう狙いや町おこしの意味もあるから、この手のイベントは現在では大して珍しいものではない。実際このシンポも、行政の理事者で出席したのは首長ではない。言い方は悪いがその程度のもんである。

ところが滋賀新聞、このシンポを1個面を費やした特集の形で取り上げる。念の為申し上げるが、当該シンポは滋賀新聞の主催事業ではない。しかも、取材に赴いたのは、滋賀新聞の紙面を事実上仕切っていた、KBS京都常務の経歴を持つ、知事の応対をした編集幹部である。何でも「メーンコメンテーターとは大の仲良し」というのがその理由だ。
このメーンコメンテーターの名前を、私はあるところで目にする。「ある人物」の対抗馬としてだ。「ある人物」と滋賀新聞社長は折り合いが悪いとの噂がもっぱら。おまけに滋賀新聞社長、「とある世界への進出意欲が極めて旺盛」という人物評も半ば定着している。この評判、滋賀新聞創刊時のもろもろの交渉ごとを暗礁に乗り上げさせた原因の一つなのだ。

そして件の編集幹部、滋賀新聞廃刊前後からさまざまな問題や疑惑が指摘されているのにも関わらず、社長以下滋賀新聞の経営陣はそれらを不問にしたばかりか、この幹部の言う事をほとんど無条件に受け入れる有様で「どっちが部下かが分からず、情けない限り」という声も聞こえてくる。その関係は今も続いているという説もあるが、今年に入ってからの諸々のトラブルを見ていると、十分考えられる話だ。

で、そのコメンテータ絡みのある一件のスポンサーがどこぞの経営者で、その仲を取り持ったのが…。という話らしい。

本当なら、「滋賀の財界総理」自ら滋賀県財界の対外的信用を地に貶める行為である。

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